パンダ返還の裏側…シンシン・リーリーの帰国と上野・和歌山・神戸のパンダたち

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パンダ返還の裏側…シンシン・リーリーの帰国と上野・和歌山・神戸のパンダたち 動物

上野動物園の人気者、シンシンリーリーが2024年9月29日に中国に返還されることが決まりました。

このニュースに驚いた方も多いかもしれませんが、実は日本にいるすべてのパンダたちは、いずれ中国に返還されることになっています。

今回は、パンダの返還についてや、上野動物園、和歌山や神戸に住む日本のパンダたちの歴史などをまとめてみました。

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パンダ返還のルールとは?

現在、世界中で飼育されているジャイアントパンダのほとんどは中国国籍です。

かつて中国は友好の象徴として各国にパンダを譲渡していました。

しかし中国がワシントン条約に加盟して以降、パンダは種の保護のために有料で貸し出されることになりました。

この貸し出し期間は、協定で決められますが、場合によっては延長されることもあります。

日本で生まれたパンダも例外ではなく、たとえ生まれた場所や親の国籍が異なっても、その所有権は中国にあります。

返還の期限は「生後24カ月」となっていますが、実際には中国側との話し合いで具体的な時期が決められます。

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中国から日本にきたパンダたち

中国から日本にやってきたパンダは

  • 東京の上野動物園
  • 和歌山のアドベンチャーワールド
  • 神戸の王子動物園

で暮らしています。

この3か所にいるパンダたちのこれまでについてまとめました。

ほかにも日本に来たパンダには、福岡市動物園(2カ月間の一般公開ののち帰国)、中国の雑技団の巡回、各種の博覧会などでやってきたパンダもいますが、ここでは割愛します

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上野動物園のパンダたちの歴史

上野動物園では、これまで多くのパンダが飼育されました。

  • 1972年に初めて日本に贈られたカンカン(康康・オス)とランラン(蘭蘭・メス)
  • ホァンホァン(歓歓・メス)フェイフェイ(飛飛・オス)の夫婦と、そのこどものチュチュ(初初・オス)トントン(童童・メス)

は来日後、さいごまで上野動物園で過ごしました。

ホァンホァンとフェイフェイの子、ユウユウ(悠悠・オス)は上野動物園でうまれましたが、1992年11月、4歳のときにリンリン(陵陵・オス)と交換で中国へ旅立ちました。

リンリンのあと、上野のパンダがいなくなる

リンリン(陵陵・オス)は6歳のときに上野動物園に来ました。

上野動物園はメキシコの動物園と共同繁殖計画を行っていたので、リンリンは2001年1月、11月、2003年1月の計3回、お見合いのためメキシコに渡り、そのたび上野動物園に帰ってきました。

また2003年~2005年にはメキシコからシュアンシュアン(双双・メス)が上野動物園に来ていました。

しかしこどもはできず、リンリンは上野動物園で2008年に22歳で天寿をまっとうしました。

ここでいったん上野動物園にパンダはいなくなります。

リーリーとシンシンが上野動物園へ

2005年に中国で生まれたオス・メス2頭のパンダが、2011年2月に上野動物園にやって来ました。

2頭は東京都の公募で決まった名前に改名。

オスは比力からリーリー(力力)、メスは仙女からシンシン(真真)になりました。

この夫婦の娘であるシャンシャン(香香・メス)はコロナ禍の影響で返還が伸びましたが、5歳で中国へ返還されました。

シャンシャンの弟・妹にあたる2021年6月生まれの双子、シャオシャオ(暁暁・オス)レイレイ(蕾蕾・メス)は上野動物園にいます。

そして今年9月にリーリー、シンシンの中国への返還が決まったのです。

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和歌山・白浜アドベンチャーワールドのパンダたちの歴史

和歌山県にある白浜アドベンチャーワールドでは、数々のパンダたちが生まれ、そして中国に旅立ちました。

その歴史を振り返ってみましょう。

シンシン(辰辰)とケイケイ(慶慶)

1994年に、中国からシンシン(辰辰・オス)とケイケイ(慶慶・メス)が白浜アドベンチャーワールドに一時的に貸し出されました。

しかし、この二頭はわずか4か月後に中国へ返還されることとなり、施設に長く留まることはありませんでした。

スーパーお父さんパンダ・永明

その後、1994年に中国から蓉浜(ヨウヒン・メス)と永明(エイメイ・オス)の二頭が貸し出されました。

しかしこどもができないまま蓉浜は死んでしまいました。

永明はその後、中国から新たにやってきたメスの梅梅(メイメイ)とペアになり、たくさんのこどもが生まれました。

さらに梅梅の死後、梅梅の娘で血のつながりがない良浜(ラウヒン)ともペアを組み、こどもが生まれました。

誕生したパンダのうち、白浜で現在も飼育されているのは結浜(ユイヒン・メス)、彩浜(サイヒン・メス)、楓浜(フウヒン・メス)の3頭のみで、他のパンダは中国に返還されました。

中国に返還された和歌山のパンダたち

永明のこどもたちの多くは、すでに中国に返還されました。具体的には以下の通りです。

  • 雄浜(ユウヒン・オス):2001年12月生まれ、2歳で中国へ。
  • 隆浜(リュウヒン・オス)と秋浜(シュウヒン・オス):2003年9月生まれの双子、4歳で中国へ。
  • 幸浜(コウヒン・オス):2005年8月生まれ、4歳で中国へ。
  • 愛浜(アイヒン・メス)と明浜(メイヒン・オス):2006年12月生まれの双子、5歳で中国へ。
  • 梅浜(メイヒン・メス)と永浜(エイヒン・オス):2008年9月生まれの双子、4歳で中国へ。
  • 海浜(カイヒン・オス)と陽浜(ヨウヒン・メス):2010年8月生まれの双子、6歳で中国へ。
  • 優浜(ユウヒン・メス):2012年8月生まれ、4歳で中国へ。
  • 桜浜(オウヒン・メス)と桃浜(トウヒン・メス):2014年12月生まれの双子、8歳で中国へ。

このように、和歌山・白浜アドベンチャーワールドでは多くのパンダたちが生まれ、成長し、そして中国に返還されています。

父パンダ・永明の中国帰還

また、お父さんパンダである永明も30歳のとき、桜浜・桃浜と一緒に中国へ返還されました。

アドベンチャーワールドのいちファンとしては、永明は高齢の30歳(人間換算で90歳)のため、もう中国へ渡らないのでは?と予想していました。

そのため、永明返還のニュースは驚いたし、寂しく思いました。

(このブログのURLでバレてるかもしれませんが、筆者はとくに白浜のパンダが好きです)

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神戸市立王子動物園のタンタンの物語

神戸市立王子動物園もまた、パンダとの深い歴史を持っています。

特にメスのタンタン(旦旦)は、地元神戸で多くのファンに愛されました。

コウコウ(興興)とタンタンの来園

2000年、神戸市立王子動物園は中国からオスのコウコウ(興興)とメスのタンタン(旦旦)の二頭を借り受けました。

名前は公募で決まり、地震のあとの復興の象徴として親しまれるようになりました。

初代コウコウとタンタンの繁殖はうまくいかず、最終的にコウコウは中国へ帰還しました。

その後、二代目のコウコウがやってきましたが、子どもを残すことなく息を引き取りました。

これにより、タンタンは一頭で日本に残されました。

タンタンの晩年と帰国の延期

タンタンも2020年に中国への帰国が予定されていましたが、コロナ禍の影響で帰国は延期されました。

さらに、2021年には心臓の病気が見つかり、治療がはじまりました。

返還期限の延長が続く中、タンタンは2024年3月、28歳で王子動物園でさいごを迎えました。

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シンシンとリーリーの帰国の理由

シンシンとリーリーは、今年19歳で、人間でいうと60歳くらいです。

高齢のため高血圧などの症状が現れ、東京都と中国の専門家が協議した結果、健康状態が安定しているうちに中国に帰国させたほうがいいと判断されました。

リーリーとシンシンの返還日は9月29日で、上野動物園での観覧は前日の28日までです。

(9月29日、2頭は成田空港から飛行機で中国に出発しました。)

返還に伴い、双子のシャオシャオとレイレイの返還期限は2026年2月まで延長されました。

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シンシン・リーリーがシャンシャンと再会できるかも

「シャンシャンの家」さんのポストによると、シンシンとリーリーはシャンシャンがいる「雅安・碧峰峡基地」に行く可能性が高いです。

上野動物園にいたころのようにシンシンとリーリーがシャンシャンの近くですごせるようになったら嬉しいです。

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中国でのシンシン・リーリー動画

10月15日、中国の「仙女(シンシン)」と「比力(リーリー)」のようすが動画で公開されました。

1週間の隔離検疫期間が過ぎました。環境に徐々になれてきているようです。

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まとめ

今回のシンシンとリーリーの返還は、パンダたちが日本でどのように過ごし、そしていずれ中国に帰るという現実を改めて考えさせられる機会となりました。

彼らの帰国は寂しいですが、中国でしあわせに暮らしてほしいと思っています。

上野動物園では、9月に2頭が過ごした5000日分の思い出を振り返るお別れイベントも予定されています。パンダたちの歴史とともに、この機会を大切にしたいですね。

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