ピン芸人の守谷日和さんがどのような若い頃を過ごしてきたかご存知でしょうか?
実は、意外な経歴や人生のターニングポイントがいくつもあったのです。
高校時代:いじめと驚きの結末
大阪府堺市出身の守谷日和さん。
高校時代には短期間ですが、いじめを経験したことがありました。
しかし、守谷さんは「嫌なことは寝たら忘れる」という性格のおかげで、学校を休むことはなかったそうです。
また、家に帰るとお笑い番組を観てゲラゲラ笑う日々が、彼にとって大きな救いとなっていました。
ある日、いじめの首謀者が1週間の停学処分に。その間、他のいじめに加わっていた生徒たちが守谷さんに普通に話しかけるようになり、気づけばいじめは自然と消滅しました。
さらに驚くことに、守谷さんはその首謀者と卒業後も仲良くなり、一緒にNSCに入学し、1年間コンビも組んでいました。
この友人はお笑いを辞めてしまいましたが、今でも交流が続いているそうです。
潜水士から芸人へ:異色のキャリア
守谷さんはすぐにお笑いの道に進んだわけではありません。
実は、守谷さんは「イルカの調教師」になりたいと思い、高校卒業後にスキューバダイビングの専門学校に進学。
そこで潜水士の資格と船舶免許を取得しました。
その後、某テーマパークでアトラクションの裏方として2年半働くことに。
当初は楽しく働いていたそうですが、業務がマニュアル化されるにつれて面白味を感じなくなったといいます。
そして22歳の時、「今お笑いの道に進まなければ!」と決意し、ついにNSC大阪26期生として入学しました。
芸人としての再スタートとピン芸人への転機
NSC卒業後は「幕末てんぐ」というコンビで3年半活動。
しかし、解散後は芸人としての活動が途絶え、串カツ店などでアルバイト生活を送る日々が続きました。
そのころは芸人を廃業同然の状態。心の奥には「芸人として再挑戦したい」という思いがくすぶり続けるものの、あと一歩がでませんでした。
そんな時、同期のアキナ山名さんから「もう一度芸人をするならルームシェアしないか?」と誘われたことが転機に。
また、山名さんの相方・秋山さんからは「ピンでやったらいいんじゃない?」というアドバイスも。
この2つのきっかけが守谷さんを再びお笑いの世界へと導きました。
ピン芸人としては「ポートボール守谷」という芸名でスタートしましたが、姓名判断ソフトで「大凶」と出たため改名を決意。
「サンキュー守谷」と「守谷日和」で迷いましたが、後者を選択しました。
“守谷”は本名、“日和”は美しい日本語として気に入り、自身の日常を見せたいという気持ちも込められています。
東京進出と現在の活躍
守谷日和さんは2020年のR-1ぐらんぷりで決勝進出を果たすなど活躍。
2021年4月に活動拠点を東京へと移し、さらに活躍の場を広げています。
また、全国の劇場やテレビ番組に出演するだけでなく、NHK大河ドラマ『光る君へ』では文室忠光役として出演するなど、俳優としても活動しています。
今後も彼の活躍から目が離せませんね!